いるという記事を読ん

一時治ったかと思えたヘンな咳はまた続く。
軽い頭痛、身体がだるく食欲不振。
この低下した体調レベルが、わたしの新しい体調スタンダードになるのだろうか。
諦めながらも慣れ、受け入れ、こうやって少しずつ、自分の次の下降したステップに移っていくのだろうかTiktok 廣告。
元の自分に戻ってほしい。
そもそも病気知らずで健康体すぎるので、病気には滅法弱い。
病気と闘ってきた経験がない。
これからは、病気知らずとも言えなくなってくるという覚悟をしなければ。
病気の話は暗いが、これも現実。
深刻な命に関わる病気ではないのが救いだ。
さて。
「わたしはメンタルは強い」話に移る。
これはいまでは、空気の読めない人という扱いを受けるのかも知れない。
インターネットで有名国立大学卒、企業勤めの女性が発達障害で仕事で苦戦しているという記事を読んだMRI磁力共振。
頭脳とはまた別のようだ。
かといって、わたしは、国立大学レベルの頭脳を持っているわけではない。
ただ、最近は心の病名が色々つけられ、悩むことはない、病気なのだから、、、という傾向がある。
昔なら、こっぴどくやっつけられてしまったり、先生に廊下に立たされたり、やたら粗暴な子や、ガチャガチャ落ち着きのない子や、いっぱいいた。
ただ、学校によっては、そういう、色々なタイプの子供がほとんどいないところがあった。
入学時に選別されているからだ。
選別されない、色んな子供がいる学校のほうが、多様性があるかも知れない長者助聽器價錢。
逆に、多様性ばかりの子供が集まった学校(施設)もある。
一般普通コースには収まりきれなかった子供の受け皿。
今は、不登校もよくある。
昔とは隔世の感。
時代は変わる。
「メンタル強い」にも色々ある。

Posted by jonesso at
15:58
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今日はいったい何をして

仏事で姉一家と集まった。
欠席7人、出席16人。
姉一家は来週?また、仏事で一家の集まりがあり、総勢25人。
仏事は鬱陶しいとは思っていたが、仏事そのものは、めんどくさいものの(→不謹慎)、兄弟一家、姉妹一家が集まるのは、なかなか興味深い。
ついに、自分たちが1番年長の世代になったせいもある優秀人才入境計劃。
世代代わりが行われ、孫、ひ孫と、世代は若返る。
お年寄りにとっては、一族の集まりは賑やかで活気、元気をもらう。
もっと歳を取れば、娘たちの代にバトンタッチされ、我々はお客さん状態で参加することになる。
かなり高齢の人々はもう参加するのは心身ともにキツいようで、参加しない。
我々も次の代にバトンタッチするまでの間が、活力がある期間。
とは言え、つい最近、上の代からバトンタッチしたばかりだが。
エリザベス女王のあとを引き継いだ高齢のチャールズ国王のようなものか。(明らかに例えが適切ではないにしても→不謹慎)
こんなことを書いていると、ますます閲覧数は下がる一方だ香港留學規劃。
ちなみに、スマホを触らずに、今日は今のこの時間(夜)まで持ったのだから、これは益々、今日はいったい何をしていたのだろう、と検証したくなる。
話は変わるが、人工榊を注文し、手に入った。(※榊=植物。神事、仏事などに使われることが多い)
(夫の家では今も常時、生のホンモノ榊)
わたしのは生の榊ではないのだが、うちの神棚にお供えするもの。
これは、わたしの人生の中で大転換である。
無宗教で無神論者のわたしが、、、。
しかも、人工であるところが、超矛盾している。
どういう心境の変化だろう。
いよいよあの世が近くなったという自覚に背中を押されたのか香港移民公司推薦。
このまま平穏無事を祈る気持ちからか。
ささやかな気持ちではあるが、平穏無事を維持するのは1番難しいかも知れない。

Posted by jonesso at
16:54
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それにわたしが応える

また、母かな?
年末で、なんか思い出したのかな?
と画面を見てみると、なんと、お久しぶりの名前が現れていた加拿大留學移民。
元、仕事仲間K。
蝶ブログにも何回か登場する、頑張り屋さんK。
いつもながら、突然のアポ電だった。
「お久しぶり。Kです。明日、会える?」
え?と、なった。
いくらなんでも明日は無理。
「じゃあ、明後日は?」
と畳み掛ける。
なんで会えないの?
時間、取れないの?
と、やたら強硬姿勢。
わたしだって、年末、予定の一つや二つ、詰まってますわよ。(と言いたかったが、口に出せなかった)
年内に会いたいという。
年末残り少なく数えるほどしかない中で、Kが折れるかたちで、会える日時を調節した香港專才申請條件。
年内、ギリギリ滑り込みセーフ。
しかし、わたしは彼女とは、年賀状以外のやりとりは、ほとんどなく、長いスパンで、数年おきにポツリポツリと連絡が入る。
今22歳の彼女の末っ子が2歳ぐらいの時にも、チビさん連れで会った。
彼女と交友のある、ミャンマーで活動している女性の絵画展にも行ったなあ、、、と記憶断片を引っ張り出すために、脳ミソをぎゅーっと絞る。
ミュージカル「マンマ・ミーヤ」を観に行ったり、三田(兵庫県)あたりに芝桜を見に行ったり、いつも突然、思いついたように彼女がリクエストし、それにわたしが応える。
お互いの家に各1回だけ行ったこともある。
たったの1回で、何度も行き来しないところが、我々らしい。
いや、、、もう1回、彼女の家に行ったかも、、、上のお兄ちゃん(長男)が結構大きくなっていたから、2回行ったのかも知れない?
いや、1回だったか?
そんなレベルの記憶、やり取りである。
最後に会ったのは、いったいいつだっただろう???
国家試験に苦節何年もチャレンジ、最後あたりはメンタルをやられたらしいが、どうにかこうにか、試験に合格し、彼女は社労士として働き始めた。
何人もでやっている事務所に雇われていたが、人間関係で、ものすごくストレスを抱えていた香港投資移民條件。
そして、彼女は独立した。
偉いなあと感心していた。
あの頃、上のお兄ちゃんは大学院を出て、就職が決まった。
お兄ちゃんの今の年齢から計算すると、あれから更に10年も経つ?
え?もうそんなに経つ?

Posted by jonesso at
10:53
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