子供達の負担が軽減さ

核家族であるAさん家は、誰も亡くなっていないので、墓石はまだ設置していない乳房檢查。
墓石が建っていない更地墓地に管理費を毎年払うが、購入済み、更地スペースはポツンポツンと段々少なくなり、周りはどんどん墓石が建つようになってきて、肩身が狭いという。
別の地域にある親の墓は、親が亡くなってから、Aさんの兄が建てた。
故郷の墓が遠いため、墓の引越をしたようだ。
兄夫婦は、兄が建てた両親の墓に今後、入るが、兄の子供達は、2人とも遠方に住み、そちらで腰を据えるため、親の墓を引き継げない見通し。
引き継がれない親の墓を抱えながら、その一方で自分の墓地を更地で持つ知人Aさん。
Aさんの子供達も遠方だったり、息子のお嫁さんが女系家族だったり。
墓を建てて維持してもらえるのかどうか、未知数。
あまり何も考えないで、自分たちの墓地を買い求めたAさん。
どうなるのだろう。
移動した親の墓も、Aさんの墓も、子供達には負担だろう。
Aさん夫婦のどちらかが先に亡くなったら、残された片方が、やっと墓石を建てるのだろうか產後收身。
そこのところだけが、遺族の考えどころ、悩みどころだ。
残された片方がどんな状態かにもよる。
認知症や病気になっているかも知れない。
その時に考えるしかないか。
だが、ぴんぴんしている70代の今では想像もつかないことでも、80代になり、90代になると、だいたい予想がつく。
親の墓じまいをするのも、終活のひとつであるが、自分の墓をどうするのかも、道筋をつけておけば、残された子供達の負担が軽減される。
だいたい終活するタイプの人は、親の墓じまいで苦労したため、子供には同じ苦労をさせたくない、だから自分の墓は要らない、という人が多いかも知れない。
両親両方が亡き後は、子供達が自分達の考えを反映して行動することだろう。
ちなみに。
わたしの実家の墓は、とりあえずは、あと40年ぐらいは維持されるだろう。
わたし自身に関しては、夫の墓地に眠る予定。
先代と先先代の嫁が相談して力を合わせて、過去帳と、当時既存の墓石に刻まれた戒名や記録を元にしたり、(たぶん)お寺に問い合わせたりして、墓をリニューアルしたため、わたしは、楽ちん。
だが、わたし達夫婦の墓石は新設しないと、無い。
場所は、同墓地敷地内、先祖、先代達の墓石に隣接。
新設墓石は、夫婦のうち、生き残った方が建てる。
墓の維持費、管理費は残しておく。
子供達は現地に来れないなら、業者に委託するとよいかと。
仮に子供がお金を使い込んでしまったとしても、わたしはこの世にいないから、わからない盆腔超聲波檢查。
恨めしや〜と、化けて出て来るなんてことはない。
現代や未来に生きる子孫たちに、過去の価値観を押し付けるのは、いかがなるものか。
行われてきた事実の報告だけは残しておくつもりだが、はたして聞く耳を持つかどうか、だ。

Posted by jonesso at
11:53
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んだら全巻読んだ気にな

なんと、アポは太陽が頭の上からジリジリと威圧してくる、真昼間の12:00。
終わるのが13:00。
最も暑い時間帯、、、は良いにしても(良くないが)1日の、ど真ん中に予定が入ると、あとが空白の場合、ものすごいタイムロス。
あちこち、銀行回りを入れたり、時間を少しでも有効に使おう頑張ったが、14:20過ぎには用事が終わってしまった商務禮品。
都会のアスファルト・ジャングルは、太陽の照り返しが強く、むわぁ〜んとしていた。
仲間と涼しいカフェで、かき氷でも食べて、さらにお茶も追加して、エキサイトすれば一石二鳥なのだろうけれど、、、。
いつものごとく、お一人様。
わたしは1人で、カフェには入らないタイプ。
それなら、いち早く家に帰って、ホームウエアで、のんびりしたい。
ただし、ごろ寝は、しない。
(眠くなることもあるが)
ごろ寝をしない、その大きな理由の一つは、ダニ。
最近、ダニが出現している。
ついにやってきた、宿敵。
毎年、夏になると、悩まされる。
どこにも安易に寝転べない。
巷にはダニ退治薬品やグッズ製品、色んな種類が、売られている相機帶。
ダニに悩まされるのはウチだけではないようだ。
ダニが出ない季節は、いたって平和だ。
全然、噛まれない。
夏になると、蚊の被害など、ほんのカワイイもので、ダニは強烈。
痒さが強烈。
しかも、いつまでも、強い痒みが続く。
ちなみに、涼しくて気持ちいい電車、命の洗濯タイムが、終わる。
次の駅で降りなければならない。
まだ、外は灼熱地獄。
図書館に行こうにも、行き帰りが暑いので、足が鈍る。
地元エリアの銀行、第二弾で、お茶を濁して、帰ろう。
おそらく、商業施設には、エアコン涼み客(お金にならない)が、結構いるだろう。
店に入ってお客はお金を落とさなければ、お店もエアコン代はバカにならない。
自宅最寄り駅で、気持ちいいクールエアコンとサヨナラして電車を降りた。
地元商業施設で時計の電池を入れ換えてもらう間に、本屋さんでブラブラして待ち時間を潰した。
池上彰氏の色々な本がたくさん発刊されていた。
彼はTVでも引っ張りだこ、超人的に時の人、売れっ子のようだ。
他の著者の本も、良いことがいっぱい書かれていて、読めば賢くなりそうだが、タイトルと紹介文だけ読んだら全巻読んだ気になった。
というより、多分、集中力がなくて教養本は読めない。
他の作家?の「文章はカタチから入れ」みたいな本もあり、パラパラと目次を見て、もうやめた。
良い文章の書き方、指南書だが、ビジネスの企画書ならいざ知らず、、、、、
文章ぐらい、優秀なお手本に囚われず、好きに書きたい。
「頭の良い人の説明は、なぜわかりやすいか?」のような本もあり、ざざざざーっと粗っぽく要所のみ読んだが、どうやら、わたしの真逆をすればよいようだ。
わたしは、悪い見本。反面教師。
わかってはいたが、、、いつも同じ結論に辿り着く月餅盒。
わたしは、アタマが良くない。
血の巡りが悪い。
ところどころ、詰まっていると思われる。
一気に流れることもあるので、それはそれでよいのか悪いのか、振り回される。

Posted by jonesso at
17:07
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ことを心がけていなか

蝶ブログにも何度もご登場いただいた。
(ご本人の許可は得ず。得る必要も義務もないが)
43年前から関わりがある。
初めてお会いした頃は、わたしは独身。
Bさんは、お店を長く一人で経営され、当時はご主人も存命香港永居申請。
華やかな方であるが、わたしは超苦手。
ご近所なので、嫌でも顔を合わせる。
「単なる苦手」が「超苦手」になり、その状態が長く続いたが、お歳を重ねてちょっと弱気になられ、最近は「普通」になったと思いきや、またまた「苦手」に返り咲いた。
今週のバス停。
いつものように、誉め殺し。
他の人の耳があるので、わたしは声を小さくしていた。
褒め殺しの内容が、聞き捨てならない、過ぎ去りし時代の過去の価値観であったため、わたしは、小さい声ながら、一気にベラベラと異論を唱えた。
すると彼女の顔色が変わった加拿大技術移民。
「上品なお声で仰るから、聞こえないわ。
80歳過ぎたら、綿棒で耳の掃除したら良くないそうですね」
と、仰る。
顔色の変わり方が、かつての姑とソックリ。
自分には理解できない、わけのわからないことを一気にまくし立てられる拒絶感、不快感が襲ってくるのだろう。
認知症初期の症状で、他人から自分に対する行動から受ける印象に、そういう感覚があるそうだ。
Bさんも、片足入っているようだ。
早かれ遅かれ、皆んなそうだけど。
顔色を変えた後、遅れてバス停にやって来たご近所Cさんの顔を見るなり、
「奥さん!お元気?
80歳過ぎたら、綿棒で耳の掃除したら良くないそうですね」
と話しかけていた。
わたしは、明らかに、聴き役から外された。
一方的に(怖い顔で)まくしたてるのは、NGであると、再認識した。
聴こえないのではなく、わからないことや聴きたくないことは、脳がシャットアウトする。
初期症状である。
高齢の人には、大きな声で、耳元近くで、ゆっくり、はっきり、短い単語で話さなければならない。
介護職や医療関係の人たちは、皆さんそういうアプローチをされている。
わたしは、家庭外であり、家の外なものだから、つい、普通の人に接するようにしていて、特別な話し方をすることを心がけていなかった。
が、複雑な話やプライベートな話なんかは、皆さんがいるバス停ではとても出来ず、相手の言うことを笑顔で聴いて頷くしかない。
わたしは、ボランティアさんでも専属ヘルパーさんでもなく、ましてや「苦手な人」歴が長い人には、そうすぐに優しく親切にできない。
これからは、高齢であることを念頭において、対応すると良い。
が、元々苦手な人にそこまで頑張るかどうかは定かではないuche認可性。
やはり、元気な頃にどういう態度で接していたか、好感度はどうだったか、という過去のやりとりは、現在、未来の行動に対して受ける気持ちに影響がある。
家族であろうが、友人であろうが他人であろうが、同じかも知れない。
わたしの場合、元気な頃に、好き勝手してあちこちに敵を作ってしまっていたら、、、それはそれで、元気な頃、自分は満足している。
まだ訪れていない(予兆はあるものの)健全ではない時のことまで心配して憂慮していたら、せっかくの黄金時代が褪せる。
かと言って、人のフリ見て、やはり他人に映る自分も多少意識したほうがいいと自覚した。
この年齢になって、ようやく気づくことがある。
老化による変化なら仕方ないが、それまでのお互いの関係性の積み重ねた時間は、事実として消せない不動のものであると感じる。
関わりが長ければ長いほど、状況も変化し、色んな側面を持つ。

Posted by jonesso at
16:08
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指が動いていると思われ

先ずは、お気に入りマークしている他のgooブログをざざざーっと目を通す。
しっかり読むこともあるが、感銘や影響を受けすぎると、自分のブログを書く気力が削がれる。
(わたしは読み手でもあるが、書き手なので。そんな大層なものではないが)
毎日の15分連続ドラマのようなブログが読みやすい一叮溶脂。
ウォーミングアップには丁度よい。
だが、自分のブログといったら、、、完全に自分の気分、風まかせ。
書き出して夢中になって、はっと文字数を見てみると5000文字を超えていたりすると、頭で考えるより先に指が動いていると思われる。
そういう時は頭から湯気を出している場合が多い。
沸騰した温度が下がるまで、思いを吐き出している。
(その割に、大したことは書いてないが)
更新しないでいると、気になる。
ムズムズする。
だが、何も思いつかない、書きたいことがない時もある。
「今日は何もありませんが、アップします」では、自分のブログが自分が描く理想とするものから、遠ざかるonda 溶脂。
とは言え、理想はあくまでも自分軸。
自己チューなので忖度しない。
自分が面白い、楽しいと感じなければ全くブログを書く意味がない。
自己満足は、自己肯定につながる。
ふと、指が止まることもある。
えーーっと、、、と、思考停止になる。
あるいは、書いている内容で、用語など、少し調べなければいけない時は、流れが止まり、せっかくのノリ、勢いがスローダウンする。
ペラペラペラペラ、、、あまり考えずに思いついたことをとめどもなくしゃべる、おしゃべりブログである。
友人と会っていると、これまたペラペラ、息つく間もなくしゃべって、周りの人はうるさい、鬱陶しいだろう。
ずーーーっと、しゃべり続けている。
レストランやカフェならいざ知らず、電車内だと、迷惑をかけていると思う。
誰も周りは話していない、話し声がしない空間では、聞きたくなくても聞こえる。
なので、あまりしゃべらないことにしているが、相手がベラベラしゃべる点阵激光。
その時は、あまり積極的に受け答えしないようにしている。
類は友を呼ぶ、、、で、おしゃべりなわたしは、おしゃべりな友人ばかり。
ではあるものの、2人ならベラベラしゃべるが、多人数になると途端に口数が少なくなる。
いわゆる内弁慶タイプか。
あまり社交的とは言えない。

Posted by jonesso at
18:14
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んそのものになって

指定席は事前に購入していた。
が、保守作業用車両の衝突事故ため、名古屋、東京間は運休。
新大阪駅、新幹線入り口前は、足止めされた客でごった返していた。
名古屋まで行けてもその先は行けない。
名古屋で延々と待ってもなあ、、、と、悩んでいた。
JRの若い女性社員に、もうすぐ発車時間が来る指定席をどうすればよいか、聞くことにした骨質疏鬆補充。
が、前の人が延々と質問して、すぐ後ろにいるわたしの順番がなかなか来ない。
アナウンスや大声での説明や、大勢の人がごった返す中、若いJR女性はマスク越しにゴニョゴニョ話す声が聞き取りにくい。
何度、耳に手を当てて、聞こえないおばあさんの仕草、風体をしたことか。
夫が耳の聞こえが悪いため、日頃、TVの大音量被害にわたしは遭っているせいで、耳が悪いことに対して憎悪していたが、自分も耳の悪いおばあさんそのものになっている。
「え?え?なんですって?
聞こえない。
もう一度、言って!」
と、わたしも必死である。
耳の遠い年寄りであろうがなんでもよい。
あんなに聞こえないと思ったのは初めてだ。
周りの大騒音と、女性のマスクの小さな声。
最悪。
自分の耳の聞こえが悪いせいとは思えなかった。
自分の耳ではなく、自分以外のせいにする、ついに典型的老人の仲間入りであるthermage 邊間好。
何度も何度も聞き直して、やっとわかったのは、今行っても、後から行っても、名古屋までしか行けないということ。
急いでいるなら購入済み座席指定の電車に乗ってもよいが、払い戻しは、名古屋ですると払い戻される金額が安くなるということ。
新大阪で払い戻したほうが金額的には良いと思われる。
ちなみに、思うに、わたしの耳が悪いのではなく、理解力が悪いようだ。
ああ、自分はお年寄りの仲間入りを実感する。
こういうことでもないと、なかなか実感する機会には遭遇しない。
待ち合わせは東京駅11:30。
絶対に間に合わない。
待ち合わせている相手にLINEする。
運転再開は早くとも午後0時になるとのことだったので、行動予定時間を後ろにずらして計画変更にしようかと提案してもらい、検討していた。
キャンセルするか、決行するか。
頑張って行くことにした。
ではあるが、おそらく東京まで電車は立ちっぱなしなんだろうなあ、、、と想像して疲れがどっと押し寄せた。
東京に着くまでに体力を消耗してしまう。
東京に着いてからが本腰なのに。
東京では2両日、目一杯、充実のダンスプラン。
気合いで自分にハッパをかけて行くのはよいが、アドレナリンが背中を押す強行軍に、後にぐったり疲れの後遺症が残るかも知れないと不安にもなっていた。
というか、どうやればいい?
座席指定切符を払い戻して、また買うのかderma veil 童顏針?
払い戻しのお客さんは長蛇の列。

Posted by jonesso at
11:42
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