け取ってもらえてい

その一方で、11年間、短文で、しかも投稿数も少ない趣味SNSではあるが、実際にそれがご縁で実社会で知り合った人は、想像する以上に多い。
お互い、日記を書き続けているので、知っている人の日記にはリアリティがあるCivil Engineering Course。
が、やはり、わたしにとっては趣味SNSのほうは、趣味のことだけを特化して書いているので、軽い。
趣味は人生や生活の一部であり、遊びだから。
と、ここまで書いて、逸れに逸れた話を元に戻す。
インターネットとは無関係に知り合った、元ペア相手だったAさんとは、ペアを解消し、ダンスは、練習しないお遊びに移った。
が、今は、そのお遊びも遠のきつつある。
残っているのは、団体ウォーキング。
はじめは、やんわり断っていたが、次第にハッキリ断るようになった。
にもかかわらず、わたしの断り方が、弱々しすぎて、ふにゃふにゃで、どうもインパクトなく、迫力もなく、「なんか言ってるわ」ぐらいにしか受け取ってもらえていない中學收生。
で、断ったり、参加したり、一貫した態度は取れていなかった。
ウォーキングは、外の自然、空気に触れ、運動にもなり、特に高齢者には心身の健康に良い、と捉えていたからである。
だが、段々、しんどくなってきた。
ダンスペアを続けることが出来なくなったのと同じで、相手のペースに引きずられるのが耐えられなくなってきた。
頑張ってわたしのペースを主張しても、相手は自分のペースで進もうとする。
歩み寄りや調整が行われないのであれば、わたしは、辞退する成り行きになった。
ウォーキングは、まだ続いていたが、どうしても、参加に対して、強硬な姿勢を感じてしまう。
で、逃げたわけだ。
ああ、やっと逃げることが出来た。
嬉しい。
悪い人ではないのだが、人の言うことを聞かないのは致命的である。
そうやってその人が今日まで歩んで来たのであれば、それがキャラクターなら、もう変わることはない。
だが、表面に現れる問題点が「ウォーキング」だなんて、なんて平和な案件なんだろう。
金銭でもなければ、愛憎でも、権力闘争でもない。
ドロドロ泥沼とは程遠い、実に健康的な悩みである。
おそらく、わたし自身に、ドロ沼にハマらないよう脳内プログラミングされているのだろう脫毛學生。
また何ごともなかったように、次のウォーキング参加を提案して来られるかも知れないが、再び一から悩むのであれば、時間の無駄使い。
もう知らん。
ちなみに、、、
あるフォトグラファーさんのブログ。
わたしは、活動に興味、関心がある。
日々のレポート記事で紹介されることを擬似体験させてもらっている。
かつて、わたしが経験したこととリンクしている。
一ファンであるわたしだが、とても嬉しいコメントのやり取りをさせて頂き、こころが躍っている。

Posted by jonesso at
11:05
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えスタンバイしてい

秋晴れの中、神社まで皆んなで歩いて行った。
緑道途中に公園がいくつかあり、その度に、シーソーだの、ジャングルジムだの、ブランコだので、寄り道、プレイタイム。
小さい子はまあ良いとして、小4、小6のお兄ちゃんたちが、きゃっきゃとシーソーで遊んでいるのは、ちょっと幼稚か??と、ママ(わたしの娘)が言っていた。
かたや、小1女児は、ブランコ漕ぎ、天まで届く180度か?と思えるほどの、ブルンブルンぶり渠務工程。
4歳は、「だれか押してえ」と座ると、長兄小6が押していた。
1番上は小6、1番下は4歳、と、年齢に少し開きがあるので、互助システムが自然に機能しているようだ。
そもそも、「神社までウォーキングして、七五三お詣りの後に昼食」とLINEが来たので、時間を逆算して、わたしは午前10時出発の予定で自宅で準備を整えスタンバイしていた。
結局、孫たちが、うちのチャイムを鳴らしたのは13時をとおに超えていた。
爆睡していたそうな。
神社後の昼食予定は、大幅にずれ込み、小6兄孫は、数分おきに「お腹、空いた」と繰り返し、ママは鬱陶しがっていた工料測量。
が、いたしかたない。お腹は空くだろう。
持参したキャラメルを少しずつ食べて、どうにか騙し騙し持ち堪えていたが、ご祈祷が終わった頃には、はらぺこ長兄孫も対応ママもMAX。
だがしかし、16時に夕食がわりの昼食(外食)を食べられては、わたしが困る。
夕食は、しっかり前もって準備しているので、食材の都合上、延期は出来ない。
(配達日時指定の鱒寿司と、茹でた毛蟹がお歳暮で届いていたことに加え、わたしは、年内に早いうちに賞味期限切れ食材をどうしても消費したかった)
行きは徒歩、帰りは、後から参加したじいちゃん車派に分かれた。
わたしは、ウォーキング派なので、往復ウォーキング、、、と意気込んでいたが、迷った挙句、帰りは車派になった。
メンバーには自由選択制を取り入れると、、、
1番上孫、2番目孫、4番目孫が車に乗り込んだ。
ブランコ180度漕ぎの3番目は、徒歩で、両手にパパママ両親を独り占めの一人っ子になった。
て、今日の日記。オチがない。
事件もない。ネタもない。
時系列にダラダラ。
何もないのが、最高に良い、と、幸せを噛み締めた、晴れ渡る空、秋の日だった馬來西亞 樓盤。
賞味期限切れ食品も、どうにかなったし。
じつはこの食品は、高級食材らしい。
「いちご煮」といって、青森県八戸およびその周辺の郷土料理で、上客をおもてなしする、ウニとアワビの潮汁。
次女のご両親に頂いたもの。
調理の仕方がわからず、放置していたところ、次女に叱られた。
彼女からインターネット情報が送られてきて、ちゃんと賞味してね、と促された。
なかなかの絶品でした。
青森のご両親に、感謝!!です。

Posted by jonesso at
15:36
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たりの方法を編み出

かつては、ウップンや憤(いきどお)り、怒り、疑問、不満、自慢、自分の発露だったが、今は、幸せな、のほほん、おばあちゃん。
楽しく毎日を過ごしている。
つい最近、ウォーキング不参加案件を通して、それをキッカケに、わたしのスタンスが変わったDental Clinic。
残された健康寿命を積極的に使おうという、意気込み、前のめりの鼻息の荒さ。
残された限られた時間を能動的に選んで使おうというもの。
林住期を思いっきりワガママに過ごすため、嫌なことや、乗る気がしないこと、興味がないことには、参加しない。
好きなことだけする。
もちろん、すべきことは、しなければならないが。
実はこれは、かつての友人がそういうスタンスだった。
今は疎遠だが、べつに喧嘩別れしたわけではない。
たまたま、そういう時期、流れだった。
その後、お互い、変化するのは止められない。
不思議なことに、全く同じスタンスの人がいた。
人生の林住期の過ごし方、信念が全く同じ。
ひょっとして、2人とも、五木寛之に影響を受けたのかも微創植牙。
信念を行動に移して実践しておられる。
なので、近くにいたわたしも影響を受けた。
たまたま同じような人が近くにいた、、、のか、あるいは、類は友を呼ぶのか。
遠くに点在していたものが、目に見えない力で集まってきたのか。
仏教的思考がベースにあり、それは、わたしも同じ。
「無常」という考えだ。
わたしは、何ごとにも執着しないことを目指すが、まだまだ無理。
人間に対しては割と修行を積み、トレーニングしてきているが、モノに対してはまったく落第生。
解脱は程遠い。
まあ、まだ健康で動けるので、どうにでもなるだろうと、いたって楽観的だ。
ちなみに。
認知症予防には、キビキビ動いたりするのが苦手、メンドくさがりのわたしに、ぴったりの方法を編み出した。
ウォーキング(徒歩)で映画館まで往復し、字幕入り映画を観る。
語学の学習、感受性、思考力養成、芸術性アップ、娯楽性あり。
帰りに食材を買って帰って、家事も同時に完了。
あとは、ピアノ練習と、英語アプリ学習。
ダンスは、もちろん外せない。
旅や人との交流を、スケジュールの中に適宜に混ぜて入れると、メリハリ、彩りになる。
お金はそんなにかからない。
要は、やる気。
だが、口ばかり、、、で、一過性のため、習慣化する前に、落伍する可能性、大轉奶粉便秘。
わたしが尊敬する、超人気ブロガーの、ちきりんさんがブログで言っていた。
若い時は、やりたいことや情熱があっても、お金と時間がない。
歳を重ねると、お金や時間があっても、やりたいことや情熱がない。
時間、やりたいこと、お金のバランスは人生を通してキーとなる。
以前、わたしは、老後の3大不可欠要素は、健康、友達、お金、だと思っていた。
だが、インターネットが普及し、健康でなくても、友達がいなくても、お金はさほどなくても、好きなことに時間が使える。
つまり、老後は時間は誰にでもあるからなんとも思わなかったが、時間こそが最重要だと考える。
老後だからこそ、限りがある。
時間は平等、とは言え、人それぞれ事情が違うから、何とも言えない面はあるが。

Posted by jonesso at
15:48
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上回るかたちになっ

なので、スポット的に参加するのは有り得るかも知れないが、、、
前々からの解決されない悩みを抱えている身としては、自分の参加したくない気持ちが上回るかたちになった禮品訂造。
絶好の気候、快晴、良い行き先にも拘らず、自分のモヤモヤを解消させる方が勝った。
気持ちが溢れ出ていて、止めるキッカケを探していたのだろうか。
長々と書いている。
自分のために、自分の行動を心理分析、解析したい。
自分には、嗜好、好み、こだわりがある。
お仕着せではない、オリジナルのものでなければ、満足できないようになってしまっているのか。
既製品だとしても、内容に対して要望、欲求がある。
いろんなことを試行錯誤、模索していると、なんとなくではなく、ハッキリ明確になっている。
その要望に合わないものに対して、無理矢理合わせない產前按摩。
行かない、行動しない、という選択をする。
そうやって行動範囲をどんどん狭めてきているが、ある意味、自分の欲求、嗜好がよくわかっているということ。
手探りで闇雲に手を出して探し回る時期はもう過ぎている。
暗中模索は、卒業。
なので、自分の好みを優先すると、行きたいところや、参加したいことは、妥協はしないようになっている。
例えば、人気のない旅コースなのに、喜んで参加する変わり者みたいなかんじにもなっている。
出来るうちは、能動的に選んで行動したい。
気分的に、ゾロゾロ団体ウォーキングに参加したい時は、参加する。(しない可能性もある)
それはお付き合いや、引っ張られてではなく、自分の意思で、自主的に、能動的に增強免疫力補充品。
林住期は、わがまま、自由。
それで、ドタキャンして行かなかった時間をわたしは今日、何に使ったか。
益々長くなるので、またの機会に。

Posted by jonesso at
16:30
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耐えられなくなって

ウォーキングは、外の自然、空気に触れ、運動にもなり、特に高齢者には心身の健康に良い、と捉えていたからである。
だが、段々、しんどくなってきた。
ダンスペアを続けることが出来なくなったのと同じで、相手のペースに引きずられるのが耐えられなくなってきた產後收身。
頑張ってわたしのペースを主張しても、相手は自分のペースで進もうとする。
歩み寄りや調整が行われないのであれば、わたしは、辞退する成り行きになった。
ウォーキングは、まだ続いていたが、どうしても、参加に対して、強硬な姿勢を感じてしまう。
で、逃げたわけだ。
ああ、やっと逃げることが出来た。
嬉しい。
悪い人ではないのだが、人の言うことを聞かないのは致命的である。
そうやってその人が今日まで歩んで来たのであれば、それがキャラクターなら、もう変わることはない收細毛孔。
だが、表面に現れる問題点が「ウォーキング」だなんて、なんて平和な案件なんだろう。
金銭でもなければ、愛憎でも、権力闘争でもない。
ドロドロ泥沼とは程遠い、実に健康的な悩みである。
おそらく、わたし自身に、ドロ沼にハマらないよう脳内プログラミングされているのだろう。
また何ごともなかったように、次のウォーキング参加を提案して来られるかも知れないが、再び一から悩むのであれば、時間の無駄使い。
もう知らん。
ちなみに、、、
あるフォトグラファーさんのブログ。
わたしは、活動に興味、関心がある。
日々のレポート記事で紹介されることを擬似体験させてもらっている。
かつて、わたしが経験したこととリンクしている。
一ファンであるわたしだが、とても嬉しいコメントのやり取りをさせて頂き、こころが躍っているInvisalign 牙醫。

Posted by jonesso at
11:31
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