独身に見えるようだ

「あなた、○○町○○丁に住んでおられるの?
ご主人は、○○されているんですって?
ここによく来る、おしゃべりな人、いるでしょ。そのYさんに聞きましたわBB腸絞痛。
同じご町内にお住みのようですね」
「あなた、ご主人がおられるのね。
てっきり、独身貴族で優雅にお勤めされているのかと思ってました。
結婚されてるようには、見えないって、Yさんに言ったら、
『お子さんも、おられますよ』って、仰ってました。
そんなふうに見えないから、意外でしたわ」
そう言われた。
プールは、ノーメークに、スイミング・キャップだから、
服装やヘアスタイルによって左右されるイメージは、まったくナシ。
身なり、服装、装飾品など、本人を表す、付加価値みたいなものは、まるでなく、裸に近いthermage 邊間好。
それだけに、どこの誰でも関係ないから、気楽だと思っていた。
わたしの個人情報をぺらぺらしゃべる、同じ町内のYさんに言いたい。
あまり、ひとさまにプライベート情報を公開しないでくださいね。
第一、Kさんならいるけれど、Yさんという名前の人は、いない。
あのプールの女性が、名前を覚え間違えたのか?
犯人は誰?
ま、どっちでも、いいけれど。
悪意のない、たわいないお話。
何人かに言われたが、年上の方々から見ると、どうも、わたしは、独身に見えるようだ。
おそらく、変人で浮世離れしていて、カスミを食べて生きているからだろう。
家庭生活力が、みなぎり溢れ出ていないからだろう。
ああ、またか。。。
若いころなら嬉しかったかも知れないが、この年になると、ちょっと、ショックonda 溶脂。
裸に近い格好でも、「地に足が着いてない」、って、なんで、わかるんだろう?
それのほうが、不思議だ。

Posted by jonesso at
15:29
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人事として捉えてい

理由はわからない。
それが辛いところ。
自分でコントロール出来ない、、、ミニ躁鬱症状か。
しかし、たいそうな病名を付けなくても、誰にでもそういう気持ちのアップダウンはあるはず。
曇った寒く暗い日が続けば、気分も憂鬱になるだろうし、からりと快晴の日は、こころもウキウキするだろうBest Universities in Hong Kong。
外因の影響は大きい。
もちろん、内因がほとんどを占めるのだろうけれど。
さて、わたし。
じーっと動かず、とことん引きこもっていたら、、、別に実験をしたわけではないが、、、体重増加、お肉ぷにぷに、、、の生体的影響が出た。
ぷにぷにぐらいなら良いが、更に肥満へと進むのは、わたしの理想範疇にはない。
とは言え、歳を取ると、ガリガリ骨骨筋筋、摘べば、びよ〜んと伸びる皮膚だけよりも、ふっくらしているほうがいい。
どっちやねん!と、とりあえず、ツッコむ。
いつも一人二役。
映画の話を書きたいのに、、、
あの映画は、ちょっとこころに、あたためておきたい気分高級文憑升大學。
軽々しくない、ずっしりした力が湧き出る映画だった。
「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」
フェニミズムが根底にあり、女性には強く背中を押してくれる気になる。
48歳の女性が暮らす、東ヨーロッパ、ジョージアの小さな村が舞台。
ジョージア人作家でフェニミズム活動家のタムタ・メラシュヴィリによる大ヒット小説が原作。(2021年)
日本公開は、2025年1月3日。
今更ながら、わたしはフェニミズムに共感する。
もうこんな歳になっているのに、、、というか、こんな歳だからこそ、フェニミズムなのだ。
学生時代から、とうにフェニミズムは謳われていたのに、全く他人事として捉えていた。
どこ吹く風。
現実とは別の、理想の概念。
絵に描いた餅。
時代は全然、ソッポを向いていた。
やっと、やっと時代が後から着いてきたようなかんじか。
主人公エテロ。独身。
画一的な金太郎飴的美人ではなく、ものすごくどっしりした、個性、存在感を放つ。
「(世の中では)ペ◯スと結婚さえあれば女性は幸せになれると思っている。
だけど、そんなもので幸せになった女性はいる?」
このセリフ、鋭く印象に残った。
48歳のエテロ。
どかっとした体格、地に足が着き、生命力がみなぎっている。
わたしには美醜より年齢の若さが羨ましかった。
美人とは、、、個性の持ち主だ。意思の強さ。
美しさの定義を根本から見直すキッカケになる。
が、わたしはやはり、年齢の持つ若さには逆さになってひっくり返っても勝つことは出来ない喬雅登。
48歳でも、わたしより20歳も若い。
比較して勝負しようということ自体が馬鹿げている。
私は私、、、と、タイトルにあるように、歳を取っても、私は私。
揺るぎない自分を確立し、保持することが大事だ。
自立ということか。

Posted by jonesso at
15:54
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思っていないのと同じ

元々少ないブログ閲覧数なので、あまり気にしない。
というか、それがかえって好きなことが書けてよい。(→「負け惜しみ」を美化、昇華)
益々、人は遠ざかることを承知で書くPhD Funding Hong Kong。
(何度も念押し、しつこい、うるさい)
さて。
自分へのお清めの塩を撒いたところで、スタート。
長く知っている、ある人Aさん。
知的好奇心は、ほぼゼロ。
(動物本能的好奇心は旺盛)
深い思考力は、皆無。
単純、単細胞。
決して悪い人ではない。
世の中には、ズル賢い悪人は山のようにいる。
かくいうAさんも、時にはズル賢く立ち回り、損を最小限に食い止めることもある泰晤士世界大學排名。
ある意味、防衛本能である。
が、根は正直な人物。
知的好奇心が無いのは、決して悪いことではない。
知的な面での話題を出さなければよいだけ。
小学生の孫と接しているかんじか。
ただ、小学生はまだ未完成で伸び代があり、将来、未来がある。
人によってはそのまま、あまり変わらず成人するかも知れないが。
知性や思考力があるからといって、なんの役にも立たないことがある。
科学者や研究者、政治家、などなど世の中の役に立ったり、実践に活かすなら効果があるが、ただ、頭の中だけで思っているだけでは、思っていないのと同じ。
逆に、リーダーが流れを悪い方向に導く場合もある。
知性や思考力はないが、その代わりに情熱がある、という人もいる。
優しくて、人情家で、力持ちである。
人が良い。
悪知恵などを働かせるかも知れないような知識や思考力は、いっそ無い方が潔癖でいられる。
ちなみに、この度の静岡県知事の職業差別発言で、知事は自らの職を辞することになった。
職業に高度や低度なんて、ねえ、、、。
シンクタンク、県庁職員がプライドを持って職務に取り組むのは結構なことである、、、にしても。
人材が全員シンクタンク系ばかりでは、作業をする人をどう動かすのか。
誰も作業しなくなったら、どうするのか。
リスペクトし合う協働の精神がなければ、うまくいかない。
先日、公民館のトイレ掃除の男性が、トイレ掃除現場で仕事仲間に、思いっきり仕事の愚痴、不満を言っていた副學士學費資助。
わかるけれど、、、あんなに不満を募らせて仕事をしていたら、やる気はもちろん、充実感、達成感もないだろう。
好きでやっているのではないのは、わかるが。
愚痴の矛先は、行政のお偉方に向けられていた。
市役所や県庁の方々、、、間に挟まれて大変だろうけれど。

Posted by jonesso at
15:59
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うという気はなくな

おしゃべりで、内気なわたし。
プレ認知症グレーゾーンを行ったり来たり、うろうろしているわたしには、ブログはぴったりの活動だ孕婦按摩。
ちなみに、四苦八苦しながらお手紙を出した相手からは、絶対に返事は来ない。
(一昨日、投函したばかりだし)
それを確信しているのに、手紙の末尾に記した、わたしの連絡先であるEメールアドレス、受信箱を覗いている。
1日1回にすべき?
いや、3日に1回覗いて、あとは1週間に1回、1ヶ月に1回チェックしてみよう。
ファンレターに返事を出す人はまずいないので、返事など来るわけもないのに、岸壁の母になり、舞鶴港から海を見る気分。
2通目を出す気持ちはない。
が、ひょっとすると、ファンレターは半年後にまた出すかも知れない。
今は未知。予想できない。
ブログならお互いの繋がりがハッキリわかるのだが骨質疏鬆補充。
特にgoo。足跡機能あり。
前にはよくgooブログ・ピーアール記事を出していたが、あまりにも反響が少ないため、やめた。
自虐嗜好があるわたしだが、自虐ならまだしも、たんに自信がなくなり、意気消沈するだけなので、広く知ってもらおうという気はなくなった。
メジャー路線とは程遠いことは、他ならぬ誰よりも自分が知っている。
その代わりに、好きなブログを応援する側にシフト。
楽しみに、好きなブログを読んでいる。
だが、好きなブログの数は至って少ない。
あれもこれもにすると、気持ちが分散される。
熱心に訪れていると、ファン・サービスをしてくれるブロガーさんもいる。
直接、メッセージはないものの、ファンを囲い込む、お返しサービスかと受け止めている。
しかし、、、旅はいいなあ、、、。
こころの旅。
実際にあちこちを紹介してくださるブロガーさん、毎日楽しみにしてますBB無便便。
とかなんとか。
実はわたしも発信側でもある。
インプットとアウトプットを自分の好みの配分で行う。

Posted by jonesso at
15:52
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変化することがある

魂の発露のようなものもある。
脱力して、かえって良い味が出ることもあるし、単に暇つぶしだけのヒドイものもある眼袋槍。
暇つぶしも、適当な、いい加減なものは、こころを打たないことが多い。
例え、くだらないことでも、熱意をもって打ち込むと、熱情が伝わる。
個人個人の感受性や受け取り方は、千差万別なので、解説できないが。
でも、近所のコンクリート塀に落書きされているのを目にするが、精度が低い、つまらないものだ。
単なるイタズラ。気合いが入っていない。
一生懸命、遊んでない。
遊びや暇つぶしも、精一杯やると、自分でも想定していなかった、おもしろいものに変化することがある。
わたしは、そういう、意図しない偶然が造る、実は必然、みたいなものが好きだ。
とは言え、練りに練った挙句、別の意外なところからひょっこり顔を現す、、、
一生懸命のこだわりは、ある日、突然、突き動かされるものに変化することがあるbikini 脫毛。
99.999%は、使い物にならなくても。
99.99999%の無駄は、0.00001%のものを引き出すことがある。誘発する何か、、、
自分だけのこだわりや、閃きに、ビタッと合致するものに出会った瞬間が、アートなのだろうか。
しかしアートは、実生活に役立つか?
アート分野ではなく、科学分野の発見や技術なら、画期的だ。実用性がある。
こころと技術が合体すると、世の中が動く。
膨大な時間、エネルギー、労力を費やし、実験、研究が繰り返されている脫毛價錢。
ではあるが、科学がこころを追い越すと、厄介だ。
長いばかりの話になった。

Posted by jonesso at
15:51
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